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民俗収蔵資料
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01
 オオアシ(大足) 南郷村
オオアシ(大足) 南郷村

湿田の代踏みに使用。カッチキ(刈敷)と呼ばれる青草や若葉を水田に刈り入れ、これを泥中に踏み込むために使用しました。県内では阿武隈山地や郡山市湖南、南会津地方の湿田で使用されていました。同型のものは静岡県などの弥生時代や古代の農耕遺跡からも出土している古い農具です。

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02
 サシコタビ(刺子足袋) 昭和村
サシコタビ(刺子足袋) 昭和村

木綿布に麻糸で刺したもので、冬期間の山仕事などの作業に着用しました。

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03
 サンショウドウ(山椒胴) 檜枝岐村
サンショウドウ(山椒胴) 檜枝岐村

沢の清流にいるサンショウウオを捕らえる道具です。ムジリ型のものでヨシをブドウ皮で編んで造ります。檜枝岐では同型のもので、現在もサンショウウオを捕獲しています。

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04
 センダイ 昭和村
センダイ 昭和村

一般にはユリイタ(汰板)とよばれるもので、17世紀半ばすぎから会津地方で使用されました。籾と玄米とも揺り動かして選別するもので、万石が使われる明治時代初期ごろまで使われてきました。

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05
 タゴシラエグワ(田ごしらえ鍬) 只見町
タゴシラエグワ(田ごしらえ鍬) 只見町

湿田の田起こしに使用します。テヅラと呼ばれる柄にザル編や板製の泥除けを装着したもので、主に石川・新潟・山形県など日本海側の地域に分布しています。福島県内では只見町・金山町に分布し、同型のものは静岡や福岡県などの弥生時代の農耕遺跡からも出土しています。

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06
 ヒラキ 猪苗代町
ヒラキ 猪苗代町

湿田の稲刈りに使用します。阿武隈山地などの地方ではカンジキ型のものや、猪苗代湖周辺の湖南・湖西地方では横長の簀の子状のものなど、さまざまな形態があり、昭和30年代まで使用されました。

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07
 マスカギ(鱒鉤) 西会津町
サシコタビ(刺子足袋) 昭和村

日本海よりの阿賀川や只見川へ、そ上してきた鱒を水中にもぐって引っ掻き取ります。一本鉤のものが一般です。これは二本鉤のもの。昭和初期ごろまで使用されてきました。

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08
 ユリオケ(汰桶) 南郷村
サシコタビ(刺子足袋) 昭和村

籾すりをした後、前後にゆり動かして、籾と玄米を選別する農具です。『会津農書』(1684年)によると延宝の頃(1680年代)に使われ、のちユリイタ(汰板)に変わったといわれています。会津地方の一部では、昭和初期ごろまで使用されてきました。また、名月などに餅や穀物など供物を入れてまつる風習が南郷村などで現在も行われています。

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09
 コウガイ 三島町 ≪資料100選≫
コウガイ 三島町

只見川流域の大沼郡の山間部と南会津地方には、コウガイとかコゲエと呼ばれる穂摘(ほつ)み具が昭和30年代まで使用されてきました。アワやキビなどの雑穀の収穫に用いました。手のひらにのる小さなもので、木の台に鎌や鋸(のこぎり)などの鉄製品の刃を付けたものです。同型の穂摘み具は、青森・岩手県などの古代遺跡から出土していますが、民俗事例としては只見川流域のみです。只見町に隣接する新潟県魚沼市入広瀬などでも、使用されていました。

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 刺子(サシコ) 南郷村・昭和60年復元 ≪資料100選≫
刺子(サシコ) 南郷村・昭和60年復元

仕事着やふだん着は、主に麻布が多く、江戸時代中期ごろから木綿布が普及してきました。木綿は肌ざわりがよく、暖かいため大切に用いてきました。布地を丈夫にするため、2・3枚の布を細かく刺し縫いしたものが刺子(さしこ)です。貞享2年(1685)の風俗帳には、「刺子」の記事も見られます。南会津地方には、麻の葉や枡形・七宝など幾何学的模様の刺子があり、堰普請(せきぶしん)や建前(たてまえ)などの共同作業などに着用された一種の晴着(はれぎ)的なものもあります。

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 ナンバ 会津若松市湊町 ≪資料100選≫
ナンバ 会津若松市湊町

猪苗代湖周辺の湿田では、ナンバと呼ばれる横長型の代踏み用田下駄が、昭和30年代前半まで使用されてきました。横約1m、幅約30cmほどの杉や朴(ほう)の板で、U字型の刳り抜き部に足を載せたり、草鞋型に足を固定し、杖をついてバランスをとりながら、足を大きく横に広げ上げて、土塊(つちくれ)を踏みならします。同型の田下駄は、静岡県沼津市浮島ヶ原周辺でも使用されていましたが、現存するものはなく、猪苗代湖周辺唯一のものです。

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 ハントウミ(半唐箕) 会津若松市 ≪資料100選≫
ハントウミ(半唐箕) 会津若松市

元禄時代(1688〜1703)を境とする江戸中期は、各地に農書と呼ばれる農業技術書が著述されました。貞享元年(1684)、佐瀬与次右衛門によって『会津農書』が若松城下近くの幕内(まくのうち)村で著述されました。風選による穀物選別用具の唐箕の使用が記載されており、我が国最古の唐箕使用の記録です。唐箕は中国より伝来した農具です。会津には半唐箕と呼ばれ、選別された穀物が出る樋のない原初的なものがあり、山形県米沢市には天保8年(1838)銘のものがあります。

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 マイワイ(万祝) いわき市 ≪資料100選≫
マイワイ(万祝) いわき市

静岡県から青森県の太平洋沿岸には、万祝(まいわい)と呼ばれる大漁祝着があります。鶴や亀、恵比寿紙、浦島太郎など祝いの絵柄を染めた長着物や反物を、船主が漁師に大漁祝いとして配りました。いわき市小名浜の万祝は、「秋刀魚」等と漁名と季節とを染めたのが特色です。主に絹製のものの袷(あわせ)が多いですが、木綿の単衣(ひとえ)のものもあります。万祝を着て漁師たちは、アンバ様など大漁祈願した神社へ、御礼参りをする習俗が昭和20年代までいわき地方を中心に見られました。

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 根子町人形 江戸時代末期から大正時代  ≪資料100選≫
根子町人形

根子町とは現在の福島市清水町のことで宿場町として栄えたところです。伝えられている話によれば、仙台の堤焼の嫁と工人が駆け落ちしたがこの地で病になり世話になった家に伝えたのが始まりだといいます。たしかに堤人形に似たところがあります。この人形も大正時代には製造を終えてしまいました。素焼きの地肌に薄い紙を貼ってその上から彩色するという技法により人形の表情には細かな表現がなされています。

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 落下傘でつくった襦袢 昭和20年ごろ  ≪資料100選≫
落下傘でつくった襦袢

落下傘(らっかさん)、つまりパラシュートは、現在では丈夫な化学繊維で作られているようですが、かつては絹の羽二重という布を何枚か重ねて使っていました。その生地に注目して仕立てたのがこの着物。喜多方市在住の女性が昭和25年(1950)のお嫁入りに持ってきたもので、絞り染めと刺繍と仕立ては自分でしたのだそうです。物資不足の時代に、戦争で使った物資を再利用したもので、時代の雰囲気を感じさせてくれます。

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 ゼンマイ綿のワンピース 昭和20年代  ≪資料100選≫
ゼンマイ綿のワンピース

ゼンマイを加工する際に取り除く綿毛は、手毬に使ったりしていましたが、これはなんとワンピースにしたというものです。昭和20年代に南会津町の旧伊南村にいたころにゼンマイ綿を集め、若松の実家の母のところにあった木綿の綿と混ぜ、綿屋さんに打ってもらい、糸に紡いで織りあげた布を、洋裁をやっていた人に頼んでワンピースに仕立ててもらったというものです。戦後の物資不足の時代ならではの工夫です。

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 会津年中行事屏風 昭和時代  ≪資料100選≫
会津年中行事屏風

岩浅松石の描いた会津の年中行事の絵です。1月から12月までの12枚を2枚ずつ上下に貼って六曲の屏風に仕立てています。松石は新潟県東蒲原市(旧水原町)の生まれで、大正時代に会津に移り、昭和53年没、仏画を得意としていました。この年中行事の絵は江戸時代の様子で、おそらくなんらかのお手本をもとにして描かれたのでしょうが、貴重な記録といえます。松石は同じ絵を何枚も描いたようで、同様の絵が複数存在しています。

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 伝馬船(てんません) 浪江町請戸 ≪資料100選≫
伝馬船(てんません) 浪江町請戸

福島県の太平洋沿岸では、昭和30年代まで伝馬船(てんません)とか一貫(いっかん)丸と呼ばれる一人乗りの小さな木造船がありました。一本釣や刺網・延縄(はえなわ)漁の他、潜水によるアワビ採りなどの磯漁に用いられました。伝馬船はシキと呼ばれる底板が平らなものが多く、漁場までは帆を立て航行し、漁では櫓を使用します。伝馬船の船首には、大漁や海上安全を祈願し、船霊(ふなだま)様をまつっています。

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 藁人形(わらにんぎょう) 会津美里町市野  ≪資料100選≫
藁人形(わらにんぎょう)

田村市船引町屋形や朴橋(ほうのきばし)などでは、3月15日に村境に大きな藁人形を立て、村に入る悪霊退散を祈る行事が現在も行われています。会津地方では、2月15日の百万遍の日に男女一対の藁人形を立て悪霊退散を祈ります。現在は柳津町冑中(かぶちゅう)や西会津町萱本で行われているだけです。この行事は、現在新潟県東蒲原郡阿賀町などで行われています。いわき地方では、かつて6月15日ごろ小さな藁人形を作り、家の門口(かどぐち)や村境に立てる習俗もありました。虫送りなどの藁人形もあります。

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 流し雛(ながしびな) 金山町水沼  ≪資料100選≫
流し雛(ながしびな)

只見川流域の大沼郡金山町水沼や三島町高清水地区では、3月4日に紙で作った雛人形を只見川に流す行事が現在も行われています。金山町内では各戸ごとに流しますが、高清水地区では子供たちが各戸をまわり、新しい木の箱に納め村全部の雛人形を流します。雛人形は紀伊国の淡島様まで行くといい、水沼地区では旅の食物として、供えた菱餅を背負わせます。人形に厄を付け、女性たちの一年間の無事息災を祈ります。

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 火伏せ(ひぶせ) 昭和村  ≪資料100選≫
火伏せ(ひぶせ)

大沼郡山間部と南会津郡、福島市から二本松市、伊達郡の阿武隈山地にかけて、建前の時に火難除けと呪(まじな)いとして男根や女陰の作り物を棟木(むなぎ)に奉納する習俗があります。また、建前の日の晩に、主人夫婦が新築の一画を板で囲い泊る習俗もありました。南会津地方では板囲いと呼んでいます。火伏せの呪物の奉納は新井白石が福島市松川付近で見聞した記録もあり、江戸時代前半には存在していたことがわかります。南会津地方に隣接する栃木県や新潟県の一部にも見られます。

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 オカマサマ 二本松市石橋地区  ≪資料100選≫
オカマサマ

福島県中通り北部では上棟式の際、棟木に大きな男性と女性をかたどった作り物を下げる習俗があります。この石橋地区のオカマサマでは男女の形のほか、鶴亀、鰹節、ゴボウ、干柿などもありにぎやかです。家の繁栄を願う行事と考えられますが、江戸時代に新井白石が現在の福島市内で目撃したと書き残していますので、その歴史は少なくとも近世までさかのぼることになります。似たような習俗は奥会津や浜通り北部でも見られます。

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23
 稲荷原石の生活用具  ≪資料100選≫
稲荷原石の生活用具

会津若松市河東町八田の稲荷原集落では、古くから稲荷原石と呼ばれる石の切り出しと石製品づくりが盛んでした。稲荷原石は「アマ石」ともよばれる凝灰岩で、水に濡れるともろくなりますが火には強く、柔らかくて加工しやすい性質を持っています。そのため火箱(あんか)や火消甕など主に屋内で火を使う生活用具に利用され、会津の家庭では毎日の暮らしに欠かせない生活用具として重宝されました。

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 スシオケ(酢桶・鮨桶)  ≪資料100選≫
スシオケ(酢桶・鮨桶)

南会津郡只見町や南会津町の伊南川流域には、イズシ(飯鮨)と呼ばれるナレズシの保存食の習俗があります。イズシはアカハラ(赤腹、ハヤ)やマス(鱒)などを川魚をスシオケと呼ばれる楕円形の桶に漬け込みます。主に夏の季節に捕獲したハヤの腹わたを取り除き、ご飯を腹に詰め桶に漬けます。この時に笹の葉を敷き詰め、夏の土用を越して正月近くに食べます。この地方の正月のハレの食物のひとつになっていました。

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 ツルカンジキ  ≪資料100選≫
ツルカンジキ

南会津郡と大沼郡の山間部は「丈余りの雪」と呼ばれる豪雪地帯で、雪道確保は冬の重要な作業でした。当地方ではツルカンジキやツルという楕円形の大きなカンジキがあります。前方部に綱をつけカンジキを吊り上げて歩くことからこの呼称があると思われます。只見地方には、大雪で進軍できなかった八幡太郎義家が木の枝に舞い降りた一羽の鶴を見てカンジキを考案し、兵士に履かせて敵を破ったという「鶴かんじき」の伝説もあります。

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 板がるた  ≪資料100選≫
板がるた

会津地方では朴の木で作られた板がるたが昭和以前から使われてきました。百人一首の歌の下の句を独特の文字で墨書したもので、明治元年銘のものがみられることから、江戸時代から会津地方で使用されてきたと考えられます。南会津郡只見町などでは近年まで板がるたが作られ、正月などに使用されてきました。会津の板がるたは北海道のそれとよく似ており、戊辰戦争後、斗南藩に会津藩士が移住したことで伝播したとみる説もあります。

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 カンゼンブシ  ≪資料100選≫
カンゼンブシ

南会津郡や大沼郡の山間部の豪雪地帯には、カンゼンブシとかミノカンゼンと呼ばれる外套類があります。南会津郡只見地方ではカンゼンブシと呼び、イワスゲや藁、ヒロロ(ミヤマカンスゲ)等で作り、頭から肩まで覆う大きいものと、頭から肩までの小さいものの二種類があります。雪が降る日の外出には欠かせないものでした。カクマキ(角巻)やケットー等の布製の外套類が普及すると、カンゼンブシは姿を消していきました。

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 オリッカ  ≪資料100選≫
オリッカ

南会津郡や大沼郡の山間地方には、オリッカと呼ばれる養蚕用具があります。サワグルミなどの樹皮を折り曲げて作った箱形のもので、この中で蚕を飼育します。呼称の由来はその作り方にあるとみられます。貞享2年(1685)の南会津町古町周辺の風俗帳には、「蚕を入物ニハ、わらだと申物又ハ折かわと申て木の皮を箱のごとくに仕養申候」とあり、古くからオリッカが使用されていたことが分かります。

 

【お問い合わせ先】

福島県立博物館 学芸課

〒965-0807 福島県会津若松市城東町1-25
TEL:0242(28)6000 FAX0242(28)5986
Email:general-museum@fcs.ed.jp

 

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