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美術収蔵資料
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01
 「十二天図」 ≪資料100選≫
「十二天図」

十二天はもとバラモン教、ヒンズー教などのインドの神々。密教で方位の守護神とされ、日本には平安時代の空海の頃に図像が伝わったと考えられます。本図はかつて恵日寺に伝来しました。室町時代(15世紀)に制作されたものです。十二天がすべてそろっており、近年修理が完了しました。

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02
 「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(国指定重要文化財) ≪資料100選≫
「阿弥陀二十五菩薩来迎図」

鎌倉時代(13世紀末〜14世紀初め)の制作。会津若松市の浄土宗高巖寺に伝えられました。臨終を間近にした往生者を浄土に迎えるべく阿弥陀と諸菩薩が来迎した場面。往生者の屋敷が大きく描かれているのが特徴。

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03
 雪村筆「蔬果(そか)図」 ≪資料100選≫
雪村筆「蔬果図」

雪村は室町時代末期から戦国時代の16世紀に関東・南東北で活動した画僧。常陸国(今の茨城県)の生まれ。後に会津で活動し、晩年は三春に移り同地で没しました。本図は晩年の作品で新鮮な野菜が生命感豊かに描かれています。

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04
 「洛中洛外図屏風」 ≪資料100選≫
「洛中洛外図屏風」

京の中心市街(洛中)と郊外(洛外)を屏風に描いたもの。室町時代後期から江戸時代初期に描かれ多くの作例があるが室町時代のものは数点で、ほとんどは江戸時代以降に描かれました。本図は江戸時代(17世紀)の作で、徳川幕府を象徴する二条城を左隻に、豊臣氏の象徴である方広寺と豊国神社を右隻に描き、新旧体制の共存を表現しています。また、八坂神社の祭礼・祇園祭が詳しく描かれ、右隻には山鉾や山の巡行が、左隻には神輿の行列が見えます。

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05
 加藤遠澤(えんたく)筆「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)図」 ≪資料100選≫
「瀟湘八景図」

加藤遠澤は正保3年(1646)生まれの江戸時代前期の会津藩の御抱絵師。狩野派の指導者狩野探幽に学び、保科正之以後3代の藩主に仕えました。師の探幽に加え室町時代の雪舟の画風を慕い堅実な作風を生み出しました。本図は雪舟の影響が濃く表れています。享保8年(1723)の作。

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06
 浦上玉堂筆「青山弾琴(せいざんだんきん)図」 ≪資料100選≫
「青山弾琴図」

江戸時代後期(18世紀)に活躍した日本を代表する文人画家の一人浦上玉堂は会津藩と関わりがありました。備前池田藩の支藩の武士だった玉堂は、50歳で脱藩、七絃琴の琴士として生きる決断をします。脱藩後は不安定な生活だったと思われますが、土津神社の神楽再興のため会津藩に招かれました。脱藩から遠くない時期に描かれたと思われる本図は画帖などの一部であったと想われます。晩年の画風とは異なりますが、賛文の書体は紛れもなく玉堂のものです。

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07
 「松平定信像」(狩野養信筆・県指定重要文化財) ≪資料100選≫
「松平定信像」

白河藩主であり幕府老中として寛政の改革をおこなった松平定信の晩年の姿。江戸時代後期(19世紀)定信は政治家であると同時に書画や古物に関心を寄せる文化人でもありました。家督を嫡子に譲った後、江戸築地にあった松平家の下屋敷で読書や著述にふけり、屋敷内の庭園で花鳥を愛でる理想の生活を送りました。

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08
 松平定信筆(書)・狩野探信筆(絵)「書色紙・和歌短冊」  ≪資料100選≫
「松平定信書」

寛政の改革で知られる白河藩主で幕府老中・松平定信は政治家としてのみならず当代きっての文化人としての活動も見逃せません。定信の関心は文芸、音楽、絵画、造園などさまざまな分野に及び書も異なる書体を使い分けています。幕府の御用絵師、狩野探信守道の描いた「波の花」の図に定信が和歌を書いた色紙と短冊が貼り込まれています。歌には「波」と「潮」が読み込まれ、金泥で描かれた華麗な絵が流麗な書体を引き立てています。江戸時代後期(19世紀)の作。

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09  谷文晁筆「八仙人図」 ≪資料100選≫
谷文晁筆「八仙人図」

江戸時代後期の画家谷文晁は関東画壇の中心的存在。白河藩主・幕府老中を勤めた松平定信との親交も厚く、定信が中心となって進めた古文化財図録『集古十種』の編纂にも携わりました。本図は文晁円熟期の高い技量を示しています。文政8年(1825)の作。

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 佐竹永海筆「源氏物語 須磨・明石図」 ≪資料100選≫
佐竹永海筆「源氏物語 須磨・明石図」

須磨、明石は現在の兵庫県の瀬戸内海沿岸。右は『源氏物語』「須磨」の段。都を離れ須磨に侘び住まいする光源氏を描いています。手紙だけが心の慰めの暮らしの中、須磨に友人の頭中将がやって来ました。本図は光源氏が頭中将を案内する場面でしょうか。左は「明石」の段。月の美しい秋の一日、明石の上の屋敷を従者の惟光を伴い訪れた光源氏を描いています。天保7年(1836)に制作されました。永海は後に江戸画壇の中心的存在である谷文晃に入門、苦学の末、頭角を現し彦根藩井伊家の御用絵師となりました。

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 佐竹永海筆「山水図屏風」 ≪資料100選≫
佐竹永海筆「山水図屏風」

佐竹永海は会津若松城下に生まれた江戸時代後期の画家。湖面を中心に山水の景観を描いています。永海の師・谷文晁は中国画、大和絵、さらには西洋絵画も貪欲に研究し、さまざまな画風を折衷した独自の画風を生み出しました。特に中国の北宗画・南宗画の硬い筆法、柔らかい筆法を折衷した画風は文晁の山水図にしばしば見られます。本図も文晁譲りの南北折衷の画風と言えますが、墨を基調に適度に彩色を施す永海らしい穏やかさに好感が持てる作品です。慶応3年(1867)の作。

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 遠藤香村筆「七里ヶ浜図」 ≪資料100選≫
遠藤香村筆「七里ヶ浜図」

七里ヶ浜は神奈川県鎌倉市の海岸。本図は西方、江ノ島、富士山の方角を望んで描いています。実際の景観とは異なりますが空間の広がりがよく捉えられています。江戸時代後期(19世紀)、輸入された西洋の銅版画集などを通じて一群の画家たちは西洋画の構図や技法を学びました。その技法で描かれた日本の絵を洋風画と呼んでいます。須賀川生まれの洋風画家、銅版画家の亜欧堂田善も七里ヶ浜を描きました。遠藤香村は田善から洋風画を学んだものと思われます。

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 塩田牛渚筆「歳寒三友(さいかんさんゆう)図」 ≪資料100選≫
塩田牛渚筆「歳寒三友図」

塩田牛渚は江戸時代後期の会津生まれの画人。会津藩士の家に生まれ小姓として仕えましたが、後、藩籍を脱し、浦上春琴に就いて京都で画技を深め将来を嘱望されながら37歳で亡くなりました。歳寒三友は冬の寒さに耐える松・竹・梅のこと。志が高く節を曲げない人のたとえとされます。本図で中心に描かれる梅は、香気高く春を告げる初春の季語として使われます。文久3年(1863)の作。同じく会津藩士出身で会津地方で親しまれた画家・野出蕉雨は牛渚の弟子。

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 「椿彫木彩漆笈」(つばきちょうぼくさいしつおい)(国指定重要文化財) ≪資料100選≫
「椿彫木彩漆笈」

室町時代(15世紀)に制作された笈。前面に椿を彫りだし、朱と緑の漆を塗り、金箔を貼り付けて装飾してあります。中央の板をはずすと三段の扉が左右に開くようになっており、ここに宗教具を納めていたと思われます。

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 「草花螺鈿蒔絵洋櫃(そうからでんまきえようびつ)」 ≪資料100選≫
「草花螺鈿蒔絵洋櫃」

ヨーロッパとの交易が始まった桃山時代。日本からはたくさんの漆器が輸出されました。輸出漆器は、日本らしい草花などのデザインをヨーロッパで使っている調度などに施し、珍しくも受け入れられやすいものを目指していました。艶のある漆黒に金や貝殻の煌めきが映え、異国的なデザインとあいまって、王侯貴族にも愛用されました。洋櫃は洋風の櫃。小ぶりなこの洋櫃には桃山時代(16世紀)らしいおおらかな文様が金の蒔絵と螺鈿で描かれています。

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 「能尽蒔絵煙草盆(のうづくしまきえたばこぼん)」 ≪資料100選≫
「能尽蒔絵煙草盆」

幕末(19世紀)の会津藩主・松平容保が用いていた煙草盆です。煙草盆は、刻み煙草を入れる引き出し、煙管に火をとる火入れ、吸い終わった灰を捨てる灰落としなどが組み合わさった調度品です。この煙草盆には、引き出しのつまみが鼓や笛の形をしていたり、火入れが面箱の形をしていたりと能にまつわるさまざまなデザインが施されています。能が好きだったと言われる容保。愛用の一品だったかもしれません。

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 「蝶牡丹蒔絵重硯箱(ちょうぼたんまきえかさねすずりばこ)」 ≪資料100選≫
「蝶牡丹蒔絵重硯箱」

幕末(19世紀)の会津藩主・松平容保が用いていた重硯箱です。歌会や香席などたくさんの人が同時に硯を使うような席で使われました。重ねると、大輪の牡丹とそこに遊ぶ蝶が蒔絵で描かれ、松平家の葵紋も散らされています。牡丹は百花の王と言われ、栄耀富貴の花として好まれました。藩主が用いるのにふさわしい品格と優雅さを兼ね備えた硯箱です。

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 「松竹梅漆絵椀」 ≪資料100選≫
「松竹梅漆絵椀」

松竹梅のおめでたい図柄を、朱・緑・黄色などの色漆と金箔、蒔絵で描いた椀。同じようなデザインの漆器が、江戸後期から大正にかけて会津でたくさん作られ、総じて「会津絵」とも呼ばれています。この椀は江戸後期(19世紀)の制作。たっぷりとした色漆が、素朴で可愛らしい印象を与えます。

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 津田得民作「金地お日市漆絵盃・黒塗四ツ椀」 ≪資料100選≫
「金地お日市漆絵盃」

津田得民は大正から昭和にかけて活躍した会津の蒔絵師。東京で漆芸界の重鎮・白山松哉に師事し、帰郷後は後進の育成にも尽力しました。日本画家を目指していたという画力と白山松哉仕込みの精緻な蒔絵技法をあわせもつ得民は、表現力豊かな漆芸作品を次々と生み出しました。晩年作のこの盃には、会津の夏祭り(お日市)を楽しむ子供たちの姿が愛らしく描かれ、得民の故郷への愛情も伝わってくるかのようです。昭和24年(1949)の作。

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 「中尊寺経」 ≪資料100選≫
「中尊寺経」

平安時代末期(12世紀)に平泉を中心に奥羽を支配した奥州藤原氏の三代目、藤原秀衡(ひでひら)が中尊寺に納めた経典の一つ。藍で紺色に染めた紙に、金で大般若経という経文を写してあります。見返し部分には釈迦が説法する場面を同じく金で描き、仏の世界を華麗に表現した教典です。

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 「銅鉢」(どうはつ)(国指定重要文化財・八槻都々古別神社蔵)
「銅鉢」

大振りな銅製の鉢は、洗米を盛って供えたり、お賽銭を受けるための器。銘文があり、応永18(1411)年に、棚倉町にある八槻都々古別神社に奉納されたことがわかります。奉納の代表者は当時白河地方を治めていた結城氏の結城満朝(ゆうきみつとも)です。

 

【お問い合わせ先】

福島県立博物館 学芸課

〒965-0807 福島県会津若松市城東町1-25
TEL:0242(28)6000 FAX0242(28)5986
Email:general-museum@fcs.ed.jp

 

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