トップページへ 展示の案内へ 催し物の案内へ 収蔵資料の案内へ 展示カレンダーへ ご利用案内へ
 ◆TOP >> 収蔵資料 >> 考古収蔵資料
 
 

 
 
考古収蔵資料
※写真をクリックすると大きな画像が表示されます

01
 塩坪遺跡出土石器 後期旧石器時代 約17000年前 ≪資料100選≫
塩坪遺跡出土石器

塩坪遺跡(しおつぼいせき)は喜多方市に所在する後期旧石器時代の福島県を代表する遺跡です。1971年、1982年の発掘調査でナイフ形石器、エンド・スクレーパー、彫刻刀形石器などとともに、当時の調理施設と考えられる「礫群(れきぐん)」が検出されています。

【ページの先頭へ↑】

02
 富作遺跡出土 尖底深鉢 ≪資料100選≫
  縄文時代早期 約8,000年前
富作遺跡出土 尖底深鉢

昭和60年(1985)に県立博物館準備室が行った学術発掘調査で住居跡から出土した縄文早期(常世1式−約8,000年前)の土器です。常世1式は喜多方市常世原田遺跡が標式遺跡。この頃の土器の種類は底の尖った深鉢だけです。器厚が薄く、砲弾形で底部に乳首状の突起が付く特徴があります。文様は放射肋をもつ貝殻の縁を押し付けたり、引きずったりして施されています。口径24.1cm、高32.3cm。

【ページの先頭へ↑】

03
 南会津町上ノ台遺跡出土 浅鉢 ≪資料100選≫
  縄文時代中期 約4,500年前
南会津町上ノ台遺跡出土 浅鉢

昭和63年(1988)と平成元年(1989)に県立博物館が行った学術発掘調査で出土した縄文中期(大木8a式期−約4,500年前)の浅鉢形土器です。口縁部に3単位の眼鏡状の把手が付き、把手間をつなぐように縄を表現したような髏と扁平な渦巻文が施されています。胎土、焼き色ともに東北南部の土器の特長とは異なり、関東東部の地域から運ばれてきたものと考えられます。幅21cm、高10.5cm。

【ページの先頭へ↑】

04
 塩沢上原A遺跡出土 深鉢 ≪資料100選≫
  縄文時代中期 約4,500年前
塩沢上原A遺跡出土 深鉢

昭和59年(1984)に県立博物館準備室が行った学術発掘調査で貯蔵用と考えられる穴から出土した縄文中期(大木8a式−約4,500年前)の土器です。口縁部にS字文と渦文を組み合わせた大胆な装飾が対向して施され、その間は直線と波状の粘土紐貼付文が施されています。背の低いこのタイプの深鉢は、数が少なく、特殊な用途があったと考えられます。幅30.7cm、高30.7cm。

【ページの先頭へ↑】

05
 横山A遺跡出土 土偶 ≪資料100選≫
  縄文時代中期 約4,500年前
横山A遺跡出土土偶

いわき市横山A遺跡で採集された土偶で、昭和39年(1964)発行の「福島県史第6巻」でも紹介されています。同時期の土偶の中ではとても小型のものですが、精巧に作られています。乳房と腰のくびれを強調した胴体に頭部と水平に広げた両腕が形づくられています。少し欠けていますが、胴体の下方が膨らんでおり、妊娠した姿を表現しています。脚部はありませんが、お尻の下面を平らに成形しており、自立させていた可能性があります。正面の上半身と背面に沈線で文様が描かれていますが、目・鼻・口などの顔面の表現はありません。高さ3.7p。

【ページの先頭へ↑】

06
 田村市船引町北鹿又字向山出土 ヒサゴ形注口土器 ≪資料100選≫
  縄文時代中期 約4,000年前
船引町北鹿又字向山出土 ヒサゴ形注口土器

昭和58年(1983)、林道開削工事中に地元の人によって発見されました。出土地点は縄文時代中期から後期にかけての祭祀関連遺跡として知られる前田遺跡の東側の山の斜面です。1ヶ所に同様の形の土器が数個体まとまって埋められていたといいます。縄文時代中期末葉(大木10式期)のもので、注ぎ口といくつかの紐通し孔が付けられています。同一個体と考えられる蓋も出土している点はとても珍しいといえます。幅23cm、高26cm。

【ページの先頭へ↑】

07
 三貫地貝塚出土 深鉢 ≪資料100選≫
  縄文時代後期 約3,600年前
新地町三貫地貝塚出土 深鉢

昭和27年(1952)の日本考古学協会による学術発掘調査で出土した縄文後期(加曽利B2式期並行−約3,600年前)の土器。口縁部は珍しい6単位の波状口縁。胴上部と胴下部にそれぞれ沈線による矢羽根状の文様がめぐり、5ケ所に縦方向の波状線で区切りが入れられています。この時期の土器文様は、なぜか3単位、5単位にこだわる傾向があります。
口径31.0cm、高30.0cm。

【ページの先頭へ↑】

08
 三貫地貝塚出土 台付き鉢 ≪資料100選≫
  縄文時代晩期 約2,800年前
新地町三貫地貝塚出土 台付き鉢

昭和27年(1952)の日本考古学協会による学術発掘調査で出土した縄文晩期(大洞B式−約2,800年前)の土器。器面の磨きがとてもていねいです。口縁部と胴上部に大洞B式に特徴的な入組三叉文が施されています。台の部分には横長の三角形と円形の透かしが入っており、残された部分が玉抱き三叉文の形をとってます。神聖な食物を盛った器と考えられます。
口径14.7cm、高9.3cm。

【ページの先頭へ↑】

09
 三貫地貝塚出土 注口土器 ≪資料100選≫
  縄文時代晩期 約2,600年前
三貫地貝塚出土 注口土器

昭和27年(1952)の日本考古学協会による学術発掘調査で出土した縄文晩期(大洞C2式−約2,600年前)の土器。器厚は薄く、とてもていねいな作りです。東北北部の亀ケ岡文化の影響を強く受けていますが、口縁部装飾や文様には単純、省略化がみられ、東北南部で製作されたことをうかがわせます。中には液体が入れられたと考えられますが、その正体は謎です。
幅20.3cm、高10.4cm。

【ページの先頭へ↑】

10

 三貫地貝塚出土骨角器 ≪資料100選≫
  縄文時代後・晩期 約2500年〜4000年前

新地町に所在する三貫地貝塚は1952年、日本考古学協会によって、発掘調査が実施され、100体以上の人骨が出土し、注目を集めました。この発掘調査で出土した土器・石器・骨角器などの資料は日本考古学協会より寄贈を受け、福島県立博物館に収蔵されています。

【ページの先頭へ↑】

11
 縄文時代衣服(復元)
縄文時代衣服(復元)

三島町荒屋敷遺跡をはじめとして、近年、縄文時代の「布」の出土例が増加しています。それらの例を参考に縄文時代の衣服を復元してみました。編み方は「アンギン編み」に似たものと考えられています。赤漆で文様をつけてみました。

【ページの先頭へ↑】

12
 桜井遺跡出土石庖丁 ≪資料100選≫
  弥生時代中期 約2000年前 
桜井遺跡出土石庖丁

「竹島コレクション」の代表的な資料に、南相馬市桜井遺跡の採集品があります。桜井遺跡は「桜井式」の標式遺跡として知られています。石庖丁は「半月形外湾刃」や「紡錘形」のものが多く、この地域で手に入れることができる粘板岩(ねんばんがん)でつくられています。

【ページの先頭へ↑】

13
 天神沢遺跡出土石庖丁 ≪資料100選≫
  弥生時代中期 約2000年前
天神沢遺跡出土石庖丁

旧原町市在住であった故竹島國基氏は、福島県浜通り北部の遺跡調査をすすめ、多くの弥生時代の遺跡から、多量の資料を採集されました。竹島氏の資料のうち弥生時代のものは氏の御厚意によって県立博物館に寄贈されています。南相馬市の天神沢遺跡の資料はその代表的な資料の一つです。

【ページの先頭へ↑】

14
 村西遺跡出土弥生土器 ≪資料100選≫
  弥生時代中期 約2,000年前
村西遺跡出土弥生土器

この弥生土器は、1991年に当館が発掘調査を行った会津若松市村西遺跡から出土したものです。高さ39.5pの壺で、胴部の1/3程度を欠損しています。文様は、口縁部と胴部上半に平行沈線文を、胴部下半部には縄文を施しています。口縁部の一部に赤彩の痕跡が認められます。

【ページの先頭へ↑】

15
 会津大塚山古墳出土三角縁神獣鏡 古墳時代前期 4世紀
会津大塚山古墳出土三角縁神獣鏡

1964年に実施された会津大塚山古墳の発掘調査は、それまでの東北地方の古墳時代に関する考え方を大きく変える成果をあげました。その中でも縁が三角で内部に「三神」と「二獣」を表現する三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)は現在でも東北地方唯一、最北の資料として注目されています。

【ページの先頭へ↑】

16
 原山一号墳出土埴輪 ≪資料100選≫
  古墳時代中期 5世紀後半
原山一号墳出土埴輪

泉崎村にある原山一号墳は全長約22メートルの前方後円墳です。1981年の調査で大量の形象埴輪と円筒埴輪が溝に落ち込んだ状態で発見されました。盾持ちや相撲埴輪など武力を表現するものと琴弾き、踊る人など歌舞音曲(かぶおんぎょく)に関わるものなどがあります。

【ページの先頭へ↑】

17
 真野20号墳出土金銅製双魚佩金具 ≪資料100選≫
  古墳時代後期 6世紀
真野20号墳出土金銅製双魚佩金具

2匹の魚が腹を合わせる意匠が表現されています。鱗や鰭は小さな工具によって打ち出され、目の部分は表から打ち抜かれています。全国的に見ても例が少ない遺物で、用途としては、太刀の把を飾る金具とする説が有力です。

【ページの先頭へ↑】

18
 明戸遺跡出土 土器 ≪資料100選≫
  古墳時代後期 7世紀
明戸遺跡出土 土器

白河市明戸遺跡の発掘調査により、同じ住居跡から出土した土器で、古墳時代後期の器のセットがよくわかる資料です。土師器という器で、現在のお茶碗にあたる杯、食物を盛る高杯、液体を入れる壺、煮炊き用の甕、甕とセットで蒸し器として使用された甑などの種類があります。杯と高杯は内側を丁寧に磨き、炭素を吸着させて、水分がしみこまない工夫をしています。

【ページの先頭へ↑】

19
 勿来金冠塚古墳出土 鉄冑(かぶと) ≪資料100選≫
  古墳時代 7世紀初頭
金冠塚古墳出土 鉄冑

縦に長い鉄板9枚と頭頂部におく円板を革紐で留めてつくります。さらに小札(小さな札状の鉄板)をいくつも重ねて首や頬の部分を守る錣(しころ)や頬当(ほほあて)をつくり、冑から下げます。また、表面には黒漆が塗られていたものと考えられています。
さて、冑を身につけた古代勿来の王が想像できましたでしょうか?

【ページの先頭へ↑】

20
 跡見塚古墳群出土 象嵌鍔 ≪資料100選≫
  古墳時代後期 7世紀
跡見塚古墳群出土 象嵌鍔

跡見塚古墳群は須賀川市(旧岩瀬村)にある円墳を中心とする群集墳です。この鍔は鉄製で、8つの透かしがあることから八窓鍔と呼ばれます。鏨で地金に文様を彫り、銀線を埋め込む象嵌技法で装飾されています。象嵌文様は、表裏面の円周に沿って渦巻き文を数十箇所配置し、透かしと透かしの間にも扁平な渦巻文で飾られています。側面には二重弧線文を交互に配置しています。長さ8.6p、幅6.6p。

【ページの先頭へ↑】

21
 長井前ノ山古墳経塚出土 独鈷杵(どっこしょ) ≪資料100選≫
 平安時代末期〜鎌倉時代 12世紀末〜13世紀前半
長井前ノ山古墳経塚出土 独鈷杵

平成12年(2001)、福島県立博物館が行った長井前ノ山古墳(前方後円墳)の発掘調査の結果、後円部墳頂中央に中世の集石遺構が確認されました。集石遺構の底面付近から刀子(とうす)4点と独鈷杵が見つかりました。独鈷杵は密教で使用された銅製の仏具です。
長さ15cm、太さ1.5cmです。

【ページの先頭へ↑】

22
 長井前ノ山古墳経塚出土 四耳壺(しじこ) ≪資料100選≫
 平安時代末期〜鎌倉時代 12世紀末〜13世紀前半
長井前ノ山古墳経塚出土 四耳壺

平成12年(2001)、福島県立博物館が行った長井前ノ山古墳(前方後円墳)の発掘調査の結果、後円部の石棺内より中世の四耳壺が見つかりました。石川県珠洲(すず)窯かその影響を受けた窯で焼かれたものと考えられます。体部の上部に櫛目文が施されており、高さ24.5cm、最大径18cm、口径12cm、底径8.5cmです。

 

【お問い合わせ先】

福島県立博物館 学芸課

〒965-0807 福島県会津若松市城東町1-25
TEL:0242(28)6000 FAX0242(28)5986
Email:general-museum@fcs.ed.jp

 

←前のページに戻るページの先頭へ↑

福島県立博物館リンク・バナー Copyright(C)Fukushima Museum,
All rights reserved.
ご意見/ご感想 よくある質問 著作権/リンク/免責事項 サイトマップ